大洗の朝。水平線に昇る太陽。海も雲も、町に暮らす人も、船上の人も、眠る人も、眠らない人も、光を浴びて世界は平穏な金色に染まります。
遠い昔、茨城県の大部分は常陸国と呼ばれておりました。奈良時代に書かれた常陸国風土記に「常陸国は土地が広く肥沃で山海の恵みが豊かで、常世の国(海のはるかかなたにある住人が不老不死の理想郷)のようであると昔の人は語った」と紹介されています。常陸国香島郡に属していた現在の大洗にあたる海浜地域は、平安時代の大洗磯前薬師菩薩明神の創建をはじめ、常世の国のような現世の安寧を願うまちづくりが重ねられてゆき、悠久の年月にわたり自然と対話し、自然災害や戦禍を乗り越えて今日の保養地をつくってきました。
大洗は那珂川河口より南に広がる沿岸の小さな町で、海、川、湖に囲まれた水郷地帯です。町の東側は新生代につくられた大洗層がジオサイトとして露出した岩礁と、堆積した砂丘により海岸線が形成され、そこに太平洋の豊かな波が打ち寄せて、心を洗うような水の環境音が響いています。
町の北側と西側を囲む那珂川河口域、広浦干拓地、涸沼川と涸沼は、かつて阿多可奈湖 (あたかなのみなと) と呼ばれた広大なラグーン(汽水域=淡水と海水が入り混じる水域)でした。ラグーンであった時代を経て、川と湖に分かれた現在では、月の潮汐力による海の干満で湖と海を行き来する水の流れと共に豊かな生態系が広がっています。
大洗町と周辺の地形 出典: 国土地理院|地理院地図 3D http://maps.gsi.go.jp/ (廣瀬俊介改変 2023)大洗町は縄文時代以降、先人の残した住居の跡や古墳などの遺跡が大小103カ所ほど確認され、恵まれた水系のもと古くから人々が暮らしと生業を営んできた地域であることが窺えます。
今日も海辺の空に燦々と輝く太陽。豊かな波、穏やかな干満と共に生きる喜び。私たちはこの日常に親愛を持って、大洗を海の郷と呼びます。時には現世から離れて、金色の波と風を浴びに、穏やかに川を遡上する水や魚たちを眺めに、そして海の郷の人々に会いにお越しください。
大洗町は茨城県中部の県央地域に位置しており、4つのエリアに分類されます。
太古の海と森と川。信仰と保養の地
漁業と商業と暮らし。
大洗町の中心地
茨城県内最大の
遠浅ビーチと
別荘地
関東唯一の汽水湖涸沼と
広大な干拓地